べつです。
どうも私は弁当ネタに弱い。
いや、弁当が大好きで弁当を人質に取られるとつい有り金すべて渡してしまう。というわけではない。
料理が苦手で嫌いで出来れば作りたくないと思っている底辺の主婦だが、
結婚して唯一気を付けていることがある。
それは
弁当だけは人様に見せても恥ずかしくないものにしよう!!!
これだった。
一人暮らしが5年ほどあった私はコンビニ弁当の濃い味がもう嫌いになって
(どれを食べても後味が同じになるのが気持ち悪かった)
仕方なく自炊をし始めた。
しかし残業まみれの自分に自炊以上に困難なのが弁当だった。
世の弁当を作った人ならわかると思う。
とにかくめんどくさい。
最低数種類の小さなおかずを箱に詰めるのが、献立を考えるより困難!!
汁物はダメ。カラフルな食材。冷めてもマシなやつ(脂が固まらないやつね)
クソめんどくて長続きするわけもなく、
3日後にはAll冷凍食品をチンした弁当になった。
当初の私には「つくりおき」だの「弁当レシピ」の知識は皆無で、
小さな冷凍室は食べきれなかった冷凍ご飯と
製氷機がぶっ壊れていたのでロックアイスを入れるとほぼパンパンだった。
自分で詰める形成された弁当には何の感動もなく、
蓋を開けてもスカスカの弁当箱に一ミリも感情が動かなかった。
母親に作ってもらった弁当のありがたみと大変さを知った若かりしきべつはまた一つ大人になった気がした。
しかしもともと我が家の弁当はお世辞にも美味しそうとは言えない
典型的な茶色の弁当だった。
学校で給食がお休みの日には弁当を持参していたが、
これがまた開封後に子供心を撃沈させる中身ばかりだった。
鮭ではない酒粕でつけた白身の焼き魚、
砂糖でなく醤油が多めの茶色い卵焼き、
酒のあてのようなチャーシューの煮付け、
子持ちししゃも、人参の入っていない金平ごぼう。
いつも多めの漬物。
とにかく茶色かった。
大工をしていた父親は作業現場付近の炎天下で弁当を食べるため、
献立は塩分濃度が高くいつもしょっぱかった。
そのうえ大酒飲みだったせいで、甘いものは一切なし!肉より魚!
つまみのようなおかずが基本だった。
これは女の子には少し堪える。いや、年頃になればだいぶ堪える。
みんな今日はハンバーグ!オムライス!唐揚げ!とか言っている中、
ぬっと子持ちししゃもを口に運ぶ自分が恥ずかしくて仕方なかった。
そのうち弁当の蓋を半分以下の開放に留め、
みんなの目を気にしつつ隠しながら食べるようになり、何となく口数が少なくなった。
わたし同様、料理が得意ではない母親も今思えばよく作ってくれたと思う。
高校生になれば毎日弁当なので、それは大変だったに違いないだろう。
高校生になると、弁当を持っていくのが恥ずかしくて「おにぎり」にしてくれと頼んだ時があった。
バイトはしていたが、さすがに毎日コンビニ弁当に出来るほどお金も持ち合わせてなく。
弁当を作ってもらわないと小遣いがなくなるので
昼はどうしても作ってもらわないといけなかった。これもまた歯がゆい。
しかし「おにぎり」をリクエストしても栄養が偏ると言われ
相変わらず茶色い弁当を持たされるのだった。
ある日、高校で大人数で弁当を食べる日があり
私は忘れたふりをしてコンビニ弁当を買い、弁当を残して帰った日があった。
べつ:「今日は、友達がお菓子作ってきてくれて弁当食べ切れんかったわ」
母:「勿体ないじゃないの、せっかく作ったのに」
思春期の私はついつい言ってしまう。
べつ:「だって、おかずがショボいからみんなの前で弁当広げんの恥ずかしいだもん」
母:「・・・」
その時のカーチャンの何とも言えない顔をいまでも覚えている。
そして次の日から弁当の代わりに「おにぎり」が出てくるようになったのだ。
ごめんねカーチャン。
今思えば作ってもらっているくせによく言ったもんだよ。
ほんと、ごめん。
次の日のおにぎりを大きく囓って口いっぱいに頬張ると
切ないしょっぱい涙の味がしたもんだった。
二口目を大きく囓るとガリっと何かが当たった。
おにぎりの具材で手羽先の骨つき肉を入れるのは
我が家くらいだろうと思う。
おかずがショボいと言ったせめてもの娘への気遣いかもしれないが、
カーチャン・・・骨つき肉はどうかと思うよ・・・。
今では孫のために唐揚げ、エビフライ、甘口のカレーライスを喜んで作っている。
わたしも今ではクックパットやつくりおきのおかげでこんな弁当までは作れるようになった。
夫が同じ弁当を広げて、今頃同じものを食べてるんだなと想像すると
自分が作る弁当もそう悪くないと思う。
最後は、わたしの大好きな東京ガスのCMでぜひ泣いて欲しい。
(べつはこのシリーズですぐ号泣します)
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